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yoga sutra  ancient wisdom for yoga

yoga sutra

​とは?

 ヨガスートラとは、2000年もの昔に聖者パタンジャリが当時、葉っぱ1枚に一言ずつ、ヨガの教えを記して残してくれた、ヨガの経典とも言われる偉大な智慧です。もともとは口伝えで、弟子から弟子に受け継がれてきた聖人たちの教えを

パタンジャリが初めて残る形にしてくれたものとも言われています。パタンジャリが当時言葉として葉っぱに記し残してくれたことで、私たちは今書物としてヨガスートラに触れることができます。ありがたいですね。

 ヨガスートラの内容は、アーサナのテクニックにまつわる虎の巻的な書物ではありません。それどころか、アーサナにまつわる具体的な記述はほとんど出てきません。ヨガのハウトゥー本として期待すると、かなり期待はずれかもしれませんが、全体を通して何を伝えんとしているのか?ヨガスートラは、ヨガを修練するにあたって、[How to do]ではなくて、[How to be]「ヨガのプラクティショナーの在りよう」について書かれているものと私は解釈しています。ヨガのプラクティスをしていなくても、生きづらさや、生き苦しさを感じたときに、ふと一行でも目についた文を読んでみると、心の在りよう、自分自身の在りようが少し見えてきて、心が楽になるかもしれません。ヨガプラクティショナーだから、必ず読んでおくべきだとか、守らないといけないとか、そういう教えではないと思っています。私たちを縛るものではなくて、むしろ自由にしてくれる教え、そうとらえて読み深めていくといいのかもしれません。

​ヨガは自分を幸せにしてくれる手段のひとつですが、もっと突き詰めて言うと、幸せだと気付く意識や心を取り戻すきっかけのひとつだと思います。

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yogaとは?

chitta vritti

nirodhah

 ヨガスートラの最初に、「ヨガとは心の動き、働きを止めることがヨガである」と短い一文でヨガとは何ぞやが表現されています。心の作用を制御すること。ましてや、心の動きを止めて自分の中を空の状態にすることなど、簡単ではないことを皆さんもよくご存じだと思います。

 私たちは、常に目に入ってきたもの、聞こえてきた言葉や音、インターネットなどのメディアやSNSなどで絶え間なくインプットされる情報など、外の世界で起きる様々な情報や出来事に心が反応して、嬉しい気持ちになるときもあれば、悲しくなるときも、不安になるときも、心配になるときも、苦しいとき様々な感情が自分の内側に芽生えて大きく育っていくことも、しばしば、あるでしょう。

 外で起こっている様々な出来事や現象を材料にして、私たちの心はそれぞれに様々な心の造詣(世界)を作り出しています。そしてその心が作り出している世界や造詣は、ほとんどが現実に起こっていることではなく、未来に向けての仮想だったり、想像だったり、妄想だったり。もしくは、もう変えようのない過去の後悔だったり。未来と過去で心がさまよってることが多いのではないでしょうか。

 今この瞬間にどれだけの苦しみや不安があるのか。今この瞬間に心を集中させたとき、本当はそんなものは今ココには存在しないということに気づくでしょう。ヨガは、今ココに意識を集中させること、心がさまよわないこと、生きやすくするための手段のひとつです。ヨガは、今ココに存在すること、今を実感すること、今にとどまることの練習の手段のひとつに

過ぎないのです。

 ヨガを日常的に行うことで、集中力、適格な判断力が養われていくもの、今ココに意識が集中できるようになるからだと思います。

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​心の作用が止まったとき・・・・

​「ヨガとは、心の動きを制御することである」という短い簡潔な表現のあとにスートラで表現されているのが、

「そのとき、見る者は、それ本来の姿にとどまる」という一文です。この一文だけ抜き取ると何のことやら・・・・さっぱり・・と思うでしょう。

 観る者というのは、「本来の自分」、観られる者は「心の作り出しているワールド」、つまり「心の作用」。絶え間なく、私たちの心は様々なワールドを作り出しています。そのほとんどがフィクションではないですか?永遠に続くことではないですよね。思い込みだったり、先入観だったり。

 ヨガのプラクティスを日常的に続けていくと、だんだん映画を観るように客観的に自分の心が作り出す世界を観察できるようになります。それは、アーサナを練習するときに自分の内側や肉体を内観する習慣を身に着けていくからです。そして、だんだん、観ている自分と心が作り出している世界が別のものであることに気づいていくでしょう。観ている自分と心の作り出す世界が別物であることに気づく。そして、観ている世界心が作り出す世界は絶え間なく変化していることに気づくでしょう。観ている観客と上映されている心の世界を一緒にしない。これはヨガがもたらす大きな気づきです。心が作り出す世界が大荒れの嵐のような状況であったとしても、自分を俯瞰して、映画を観るように客観的にとらえることができるので、嵐に飲み込まれてパニックに陥るということは避けられるでしょう。ホラー映画の上映が終われば、スクリーンは真っ白の状態になって、本来の自分がそこに存在している。ホラー映画が終わって、ホラーが現実に続くということはないですよね。少なくとも、観ている自分、とても穏やかな平和に満ちている帰ってくるべき本来の自分の場所を知っているということだけでも、楽になるでしょう。

 そして、心が何も世界を作り出していないとき、つまり映画の上映がなく​スクリーンに何も上映されていないとき、そこに存在しているのは静かに佇む本来の観ている自分だけということです。これが心の作用が止まっている状態です。

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​ヨガの八支則

①yama

   ヤマ

ヨガの八支則とは、これはスートラの中の最も実践的で具体的な8の段階に分かれた教えです。その8つの段階の最初にでてくるのが「ヤマ」これは、簡潔に表現すると「人としてやってはいけないこと。」

パタンジャリは、人としてやってはいけない普遍的な5つのヤマを定めています。

①アヒムサ(非暴力)

 これは、殴る、叩く、といった暴力行為はもちろんのこと、言葉による暴力、他人や自然界のみならず、自分自身を傷つける思い、言葉、行為まで含まれていると解釈しています。自分自身も含めて自然界の一部。自然を傷つけることは自分自身を傷つけるのと同じ。人を傷つけるのも同じ。自分が傷みを感じる行為は自然に対してもしない。

 アーサナの練習をしているときにも生きてくる教えです。自分の体を追い込まない。自分の体を必要以上にプッシュしない。

 そこまで考えると、ふと、ここの段階で踏みとどまっている自分を痛感してしまいます。でもここの段階で踏みとどまっているからと言って、次の段階に進めないかというと、そんなことはないのです。8つの教えは段階を踏まないといけないステップやプロセスではなくて、優先順位があるわけでもなく、いずれも大切な、ハッピーに生きる智慧なんです。

パタンジャリはアヒムサについて、次のような美しい言葉を残してくれています。

非暴力に徹した者のそばでは、すべての敵対がやむ。

②サティア(正直)

 嘘をつかないこと。誠実であること。これも同じく自分に対しても他人に対しても、自然に対しても。いずれ、ワンネスなので。自分の気持ちに正直であること、自分に誠実であること、これは最初の一歩ではないでしょうか。これもなかなか難しいことに気づかされることが多いです。

③アスティア(盗まない)

④ブラフマチャリア(禁欲)

⑤アパリグラハ(貪らない)

 欲望(desire)なのか情熱(passion)なのか、自分を突き動かしているものが。ヨガのアーサナにおいても、これは非常に生きてくる教えです。

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​ヨガの八支則

①Niyama

   ニヤマ

ヨガの八支則の2つめが「ニヤマ」これも万国共通、時代問わず普遍的な教え。ヨガの礎となる教え。「人としてやった方がいいこと」で5つのニヤマが説かれています。

 ①シャウチャ(清浄)

 カラダのアライメントが整い、内側も浄化されていくと、不思議と心も整ってくる。心が整ってくると、不思議なくらい今の自分に必要なことが必要なタイミングでやってくる。正確にいうと、きちんとそこに気づくことができるようになってくる。今必要なことが目の前にやってきていることに気づくことができる。きっと心が浄化されていくと余計なことを考えなくなるからだろうと思う。

 ②サントーシャ(知足)

 足るを知る。今ココに存在していることに感謝する。今ここで呼吸をしていることに心満たされる。決して外部から与えられた物質や環境などではなく、今すでに自分の中に存在していることに心満たされる。ヨガの終わりに、ただ呼吸をしているだけなのに不思議なくらい心満たされている瞬間は、この境地なのだろう。

 ③タパス(鍛錬)

 生きていく過程において、好きなことだけチョイスして生きていきたいけど、そうはいかない。自分の好きなことを極める過程においてもやりたくないこともしなければならない。たまには苦痛を伴うこともあるだろう。目の前にあることを決してえり好みせず、やりたくないことも全力でやってみる。燃焼してみる。燃焼する過程において、不要なものが焼き尽くされる。タパスというのは焼き尽くすという意味。

 ④スヴァディアーヤ(読誦)

 生きる智慧となる先人たちが残してくれた偉大な教えを読み解いていくこと。勤勉であるということ。正しい判別、分別のもととなる、知恵や知識を多くの書物から得ていくこと。

 ⑤イシュワラプラニダーナ(献身)

​ 神への献身という狭義ではなく、人や自然に対する献身という広義の意味で捉えると、より府に落ちやすいだろう。

 

 

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​ヨガの八支則

③asana

​ アーサナ

   

​ パタンジャリは「アーサナ」についても、短く簡潔な文章で定義しています。

   アーサナ(座法)は快適で安定したものでなければならない。

​ 快適さは安定から生まれる。アーサナにおいて、

 

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